こないだ京都に行った時も嵐山では豆腐、湯葉。街中ではおばんざいの店がようけありました。
私もお上りさんなもんで当然行きましたけど。
町屋のおばんざいやさん、いかにも京都ですやん。

錦市場近くの「ここら屋」です。

おばんざいの盛り合わせです。
ところが西京区出身のアナウンサー、桑原征平さんが「子供のころから、おばんざいなんか
言うの聞いたことない」って言わはるんで調べてみた。
そしたら確かに京都の人が普通の生活では使わんようです。
「おばんざい」と呼ばれるものは普通に「おかず」のことです。
古くは「おぞうよ」とも言うたらしい。
そう言えば上方落語にも「ぞうよ」と言う言葉が出てきます。
と言うて「おばんざい」は新しい言葉でもないようです。
江戸時代に「年中番采禄」と言う本があったようで。
つまり「おばんざい」は漢字で書くと「お番采」。
「番」は「番茶」の「番」と同じで「普段の」「日常の」と言うような意味。
つまり「普段のおかず」言うことで、死語になってたようです。
なら、何時頃から「おばんざい」と言う言葉が復活するようになったか。
1964年から一年間、随筆家の大村しげさんが朝日新聞京都版に「おばんざい」という
タイトルで京都の家庭料理を紹介する連載を開始、66年に「おばんざい 京の味暦」
と言う一冊の本になったのがきっかけみたいです。
しきたりの 多い京都では,普段のおかずでも何の日には何を食べるという風習がたくさん
ありながら、その味も作り方 も忘れられ、消えようとしている事を危惧して残されようと
したのが元なようです。
「おばんざい」は「質素なようでその実ぜいたく。ぜいたくというのは味を大切に手間を惜
しまない」物やそうです。つまり「お金かけんと手ぇかけなはれ」と言うものらしい。
「おばんざい」を提供してる店でどれくらいの店がそういうことをご存じなんでしょうかね。
しかし不思議なんは、プライドの高い京都人がたとえ昔は使ってたにしても自分が使ったこと
のない「おばんざい」と言う言葉を「やぁ、うちらそんな事言わしまへん。どなたはんがそん
なこと言うてはりますのん」と拒絶することなく我も我もと使ってるのはなんででっしゃろ?
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